作文を書き続ける

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ふと昔のことを思い出しました。小学生の頃、毎週1本の作文を書いていました。とはいえ、即座にまとまった文章が浮かぶようなイベントが、週1のペースで発生するわけではありません。

私は次第にネタに困るようになりました。仕方ないので「書くことがない」というテーマで書くようになりました。しかし、毎週「書くことがない」と書き続けるのは問題です。

そのうちに、「なぜ信号が青になると渡るのか」とか「ミノムシはどこまでがミノムシなのか」等、自らテーマを設定するようになりました。そんな調子で6年生になるまで、延々と作文を書き続けたのでした。

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創業経験者へのインタビュー

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私自身の創業プロセスを書籍にまとめ始めていることは、既に本ブログで言及した通りです。書籍を執筆する中で、私は「自分以外の創業経験者がどのような世界を見てきたのか」に大きな関心を持つようになりました。

そうした関心は私を動かし、私は自然と創業経験者へのインタビューを開始していました。実際にインタビューしてみると、これが、何というんでしょう。まあ、本当に面白いのです。毎回聞きたいこと/話したいことが山のように出てきて、インタビュー時間があっという間に終了します。

それにしても、このような知的好奇心に駆動されて研究を進めている研究者はどのぐらいいるのでしょう。勿論、知的好奇心に駆動されていなければダメだという意味ではありませんが、ふと気になったのでした。

久しぶりに組織学会へ

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6月17日に滋賀大学で開催された組織学会に行ってきました。学会の研究発表大会に足を運んだのは実に久しぶりでした。この数年は、ビジネスリサーチラボの仕事があり、なかなか行けずにいました。

組織学会は2日間開催されていたのですが、今回は1日目のみの参加となりました。私は発表の予定がありませんでしたが、他の研究者の発表を聞く中で、他者の研究を受け取る自分の姿勢が以前とは変化していることに気づきました。

かつては、発表の中で一つでも(主観的に)良くない(と思う)部分が含まれていると、以降、その発表に対して聞く気持ちが萎えたものです。何様だ、という話ではありますが、実際そうでした。一方で、今回は、せっかく来たのだから良い部分を見出そうと思えましたし、そのことを実行できました。

なぜこんな変化が自分に起こったのか定かではありません。しかし、この姿勢によって学会をより楽しめたのは事実です。今後は出来る限り学会に参加し、場合によっては発表をエントリーするのも良いかもしれないと思ったのでした。

クリエイティビティの経営学

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6月8日に、東京大学において「クリエイティビティの経営学」という研究会を開催しました。講師の稲水伸行先生が経営学におけるクリエイティビティ研究を紹介した後、参加者同士の議論時間を設定しました。終始穏やかな雰囲気の中で会は進みました。

当日、稲水先生が特に取り上げたのはAmabileによる研究でした。私がとりわけ興味を持ったのはクリエイティビティそのものの測定です。クリエイティビティは、広がりのある概念です。操作的に定義するのが非常に難しい。Amabileの研究でも、その点は工夫(苦労?)を重ねているように見えました。

例えば、実験の中で被験者の作った産物を、複数の芸術家がクリエイティブかどうか判定する、という方法がありました。なるほど確かに専門家の共有された基準で評価を下すとなると、一見納得感があります。

ただ、そもそもクリエイティビティは、そうした既存の基準からの逸脱を伴う概念であるようにも思えます。専門家集団に評価されることとクリエイティビティは理論的に同じなのでしょうか。だからと言って、評価されない産物をクリエイティブだとみなせば良いのか。それは少し違う気もします。

いやはや難しい問題です。どうすれば良いのか即座に分かりません。そんな疑問を持たせてくれた研究会でした。数カ月後に、やはり同じくクリエイティビティをテーマに研究会を開催する予定です。その時までじっくり考えてみようと思います。

他者への関心

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昨年の暮れ辺りから、私自身の創業期を振り返り、その時々において私から見えた景色を相互に関連付け、一冊の本に編み上げようと日々格闘しています。

この執筆プロセスは、自分の経験と向き合い続けることを要請するわけですが、興味深いことに、自分の経験と向き合えば向き合うほど、部分的に同様の経験を経たであろう他者の存在を予感するようになってきています。

予感だけではありません。そうした他者のことをもっと知りたいと純粋に思うようになってきています。一体、彼ら彼女らはどんな経験を経ていたのでしょうか。そのことに知的好奇心をくすぐられます。

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楽しく過ごそう

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私の経営するビジネスリサーチラボには、「楽しく過ごそう」という標語があります。これは、過去の仕事経験から、喜怒哀楽を伴いつつ定まってきた価値観です。日常業務における細かな判断から、経営上の意思決定に至るまで、私も社員もこの価値観を参照しています。

「楽しい」とは、様々な側面を含む言葉です。例えば根源的な側面で言うと、お金が無かったら楽しくないでしょう(特に、お金が無いことから生まれる焦燥感は苦しいものです)。キャッシュの問題を回避するのは、楽しさをもたらす前提となり得ます。

しかし、お金があったらそれで完全に楽しいかと言えば、そういうわけではありません。誰と、どんな仕事を、どう進めれば楽しいのか。私も社員も、「楽しく過ごそう」という価値観を手元に置いて、日々格闘しながら、工夫を積み重ねています。

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変わっても地元

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先の週末は大阪に帰省していました。土曜は友人宅でバーベキューをしました。雨が心配でしたが、昼からは曇り空をキープしてくれました。涼しい中、肉を食べられて、むしろ幸運だったと言えます。

日曜は実家近辺を散歩しました。前に帰省した際には工事していた建物が新しい姿を見せていたり、工事の予兆もなかった建物が突然、別の建物に入れ替わっていたりしていました。

こうして町が部分的に変化し、やがて原型をとどめなくなっても、その場を訪れると「地元に戻ってきた」という感覚になれるのは、実に良い錯覚だと思った次第です。

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