フレイレに思いを馳せる

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少し乱暴な言い方ですが、企業には支配的論理があります。支配的論理は、制度、慣行、文化など社内の多岐にわたって浸透しています。そうした浸透が全体として、特定の論理を「支配的」にしていくとも言えます。

支配的論理に「反する」取り組みは、一見、強烈に困難に思えます。その種の取り組みが社内で成功する理由はあまり浮かばないものの、失敗する理由は際限なくイメージできる状態です。

その種の取り組みを見たとき、私はパウロフレイレに思いを馳せます。フレイレは貧困の最中にある人々に文字を教えることで、自分たちを取り巻く状況を分析し、どうすれば良いかを検討する、実践を組成しました。

フレイレが何よりすごいと思うのは、そうした実践の中心に据える方法を、一つの「正義」として、自らの言葉で紡ぎ上げた点です(例:『被抑圧者の教育学』)。

もちろん、この「正義」の内容は吟味の対象になるべきでしょう。しかし、「正義」が存在することが支配的論理に抗う人々にとって、どれほど大きな基盤になっただろうかと思うのです。