バタバタしたくない
昔から直前になって慌てるのが、どうも好きではありません。計画通り進まないのが嫌だというわけではなく、もっと単純かつ根源的に、バタバタすること自体が嫌なのです。
実際、バタバタして帳尻を合わせるぐらいなら、落ち着いて諦めた方がいくらか気分が楽です。勿論、後者の方法に成果が伴うかどうかは別の話ではあります。
そのような私も、さすがに諦めるばかりでは事業が成り立たないと学び、今では事前に計画を立てるようになっています。とはいえ、バタバタすることへの嫌悪感を避けるために計画しているという理由付けが、未だに私の中にあるのでした。
本を執筆する
今のビジネスリサーチラボのような取り組みを始めてから、10年が経とうとしています。長いのか短いのか分かりませんが、およそ珍しい実践に一定期間携わってきたとは思います。
この頃は、私の触れた世界を書籍にまとめられればと考え、執筆を進めています。経営実践と研究実践に関して新しい側面を見せられますように。そう祈りながら、ちびちびと書いています。
それにしても、未完成の本の内容について話をする機会が時々ありますが、未だ無い構想を語るのは神経を使いますね。当事者としては、そうした構想語りに対して、まずは肯定的な受容で応えてほしいと思うのでした。
空腹の組織論
私も所属している組織学会の学会誌『組織科学』においては、特集号が組まれるようになっています。現在募集している特集は「組織の危機」というテーマです。
私自身は論文を投稿する予定はないのですが、先日、研究室を同じくした仲間と話している時に、「組織の危機」と言われて、私はほとんど反射的に「空腹」をイメージしました。
レーズンパンをかじりながら、中野の居酒屋が立ち並ぶ地域を徘徊した、かつてのちょっとした思い出が蘇ったのでした。実にお腹が空いてたまらない日々でした。組織の危機でした。合掌。
いつのまにか、花粉
ついにやってきました。花粉の季節です。辛い時期が始まります。毎年、靄がかかった空気とどんよりとした眠気が、花粉開始の兆しです。
花粉症に一体いつからなったのか、明確な記憶はありません。10代の頃は恐らくなかったと思います。20代のどこかで発症したのでしょう。しかし、よく覚えていません。
これだけ苦しめられている花粉症であるのに、「この年だ」と発症時期を特定できないのは、不思議です。物事は往々にしてそういうものかもしれませんが。
文章の書き方
文章を書く時の進め方は、自分なりの方法を開発しては修正し、その繰り返しの中で、現在の状態まで辿り着いています。他の人とどのぐらい共通性があるのか全く不明ですが、簡単に紹介したいと思います。
まず、頭の中に浮かぶ言葉を断片的に取り出します。取り出したものを見て、更に生成することも伴いながら、抽出を進めます。このプロセスの中で、コンセプトも出来上がってきます。
断片が集まってくると、「なんか書けそうだ」とおぼろげに思える瞬間が訪れます。素材がある程度揃った瞬間でしょう。その後、断片を組み立てていきます。文章にはまだしません。
断片を組み立て終えて「これは完全に書ける」という手応えを得た時に文章化します。文章化は出来る限り期間を置かずに一挙に行うようにしています。書き上がったものをスマホ等、別のディスプレイで確認しながら、推敲し、完成となります。
分岐の可能性
本を読んでいて気持ちが高揚する時があります。どんな時にそうなるのかを、ふと考えてみました(暇なのでしょうか。いいえ、そうではありません)。
一つ共通していそうだと思ったのは「分岐の可能性」を感じる時です。ここにおける分岐とは、本の中で目にした知識の中に別の知識へのパスが埋め込まれていることを指しています。
分岐の可能性が高い本は、読めば読むほど分からないことが増えていきます。見知らぬ生態系への入口が幾つも見つかって、読む前よりむしろ混迷が深まり、それが心地よいのだろうと思ったのでした。
寝ることも仕事のうち
これは比喩ですが、白と黒と言った色合いで進んでいる物事を、グレーや別の色に変更しなければならない時があります。あるいは、気づけば色が変わっている時があります。
この種の変更を前提に前に進むために、私自身の納得感を集中的に醸成しようとするのが、私の癖です。するとたまに、思考の全体性に閉じ込められ、窒息しそうな気分になります。
しかし、およそどんなことでも、一晩寝たら意外に受け入れられるものです。「寝ることも仕事のうち」なんて言われることがありますが、私の場合は本当にそうだなと思う次第です。