文章の書き方

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文章を書く時の進め方は、自分なりの方法を開発しては修正し、その繰り返しの中で、現在の状態まで辿り着いています。他の人とどのぐらい共通性があるのか全く不明ですが、簡単に紹介したいと思います。

まず、頭の中に浮かぶ言葉を断片的に取り出します。取り出したものを見て、更に生成することも伴いながら、抽出を進めます。このプロセスの中で、コンセプトも出来上がってきます。

断片が集まってくると、「なんか書けそうだ」とおぼろげに思える瞬間が訪れます。素材がある程度揃った瞬間でしょう。その後、断片を組み立てていきます。文章にはまだしません。

断片を組み立て終えて「これは完全に書ける」という手応えを得た時に文章化します。文章化は出来る限り期間を置かずに一挙に行うようにしています。書き上がったものをスマホ等、別のディスプレイで確認しながら、推敲し、完成となります。

分岐の可能性

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本を読んでいて気持ちが高揚する時があります。どんな時にそうなるのかを、ふと考えてみました(暇なのでしょうか。いいえ、そうではありません)。

一つ共通していそうだと思ったのは「分岐の可能性」を感じる時です。ここにおける分岐とは、本の中で目にした知識の中に別の知識へのパスが埋め込まれていることを指しています。

分岐の可能性が高い本は、読めば読むほど分からないことが増えていきます。見知らぬ生態系への入口が幾つも見つかって、読む前よりむしろ混迷が深まり、それが心地よいのだろうと思ったのでした。

寝ることも仕事のうち

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これは比喩ですが、白と黒と言った色合いで進んでいる物事を、グレーや別の色に変更しなければならない時があります。あるいは、気づけば色が変わっている時があります。

この種の変更を前提に前に進むために、私自身の納得感を集中的に醸成しようとするのが、私の癖です。するとたまに、思考の全体性に閉じ込められ、窒息しそうな気分になります。

しかし、およそどんなことでも、一晩寝たら意外に受け入れられるものです。「寝ることも仕事のうち」なんて言われることがありますが、私の場合は本当にそうだなと思う次第です。

不在

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組織の中には、注意深く隠されているがゆえに、隠されていた事実自体がいつのまにか忘れ去られ、そこには存在しないものとして扱われるようになってしまったものがあります。

弊社の調査においては、そのようなものを白日のもとにさらすことがあります。それらを見た際、しばしばクライアントは驚きの表情を示しますが、本来はクライアントの組織の中にあり続けたものです。

不在と認識されたものがいかにあり続けたかという歴史と、いかに隠されてきたかというメカニズムを掘下げて説明することを、弊社では心がけています。

ここには、せっかく調査で日の目を見たものが再び不在の位置に追いやられないようにする目的がありますが、中には、不在のままにしておいた方が良いものもあり、悩ましいところです。

書くこと、話すこと、写真

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新しい年になりました。良いタイミングだと思い、プロフィール写真を撮り直しました。前回の写真は講演中の様子をカラーで収めていました。対して今回のものは何も話さずに座っています。

プロフィール写真を変更するのは、およそ1年ぶりでしょうか。その背景には、今年は「書くこと」により注力したいという気持ちがあります。そのため、話していない写真を選んだのでした。

実際、現在いくつかの書きかけ原稿が手元にあります。それらのプロフィール写真に関しても今回のものを活用しようと考えています。今年は原稿の中でもお会いできる機会を増やせれば。

明けまして文体の話

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明けましたね。今年もよろしくお願いします。さてこの頃、「文体」に関心が出てきています。同じ内容でも文体が違えば言葉の響き方が異なり、読後の印象にも影響します。

例えば私で言えば、(乱暴な分類ではありますが)リスクを回避しながら慎重に書く文体と、大胆に一筆書きのように書く文体があります。

先日ある雑誌のコラムを書いたのですが、その際は前者の文体でした。一方でブログは後者の文体で書いています。

書きながら使い分けの秩序が少しずつ構築され始めて、やがて文体が定まります。文体が定まると以降は随分書きやすくなるものです。

直感

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なんとなくまずい気がする。そのような直感が働くことがたまにあります。ところが、直感を他者にどう伝えれば良いか、少々悩ましく思います。

というのも、ビジネス・コミュニケーションでは自然と理由が求められます。主張に理由が付帯すれば、主張者の説明責任を果たすことになります。このことは一面では重要かもしれません。

しかし、そのような世界観のもとでは、直感を伝えることが憚られます。直感を伝えれば、その感覚を契機に、何がまずいのかを共同で探ることもできるのですが。

論理的なやりとりも大事ですが、理由なき感覚を言い合える関係もまた、リアルタイムで進展する事業活動においては大事なのでしょう。